故人の個人情報(ちょっと重たいお話)

8年前の昨日は、姉の命日。
自ら…ってやつだったのよ。
眼の見えぬ母が亡き娘の顔を撫でる姿に、自分の身体にこんなに水分があるのか?ってくらい泣きました。
姉が精神を病んでいることは知っていたけれど、遠く離れて暮らしていたし、ろくなケアもしてあげられず…。
しかもね、だいぶ前に父も同じようにして逝っちまったもんだから、まさか姉も…と、兎に角ショックがどでかくて、暫くはワタクシも鬱々としておりました。

やっと悲しみが癒えたところで、お次は震災だわ!仙台の両親(母再婚)は九州へ避難移住…と、すったもんだ。
帰仙したのを見届けて、ワタクシは心機一転、大阪へ。
そしたら、まさかの離婚。施設に入った母は階段から転落して車椅子に…。
あ~ワタシャどうしたらよいの?と、落ち着かない日々が続いておりました。

実は、姉の死から間もなく、姉の御主人から、今後のお付き合いは辞退するとの書状が届きました。ま、彼のショックも計りしれないですからね。
ところが、ワタクシには連絡をくれるようになって、東京の店にも訪ねてくれました。
その後、命日には花を送り、「ありがとう。」の一言のメールが届く…そんな関係がここ数年続いています。
だけど、今年はやめとこうかと思ったの。
もう忘れたいかもしれないし、いい人が出来たかもしれませんからね。
でも、送りました。
今日、「ありがとう。」のメールが届きました。

今年6月に盛岡に引っ越して、7月に開店したワタクシは、密かに楽しみにしてたことがあります。
それは、いずれ姉を知るお客様がいらっしゃるだろうということ。
(父は生きてたら85歳だから、その確率は低い)
姉は昭和37年生まれ。生きてたら56歳。盛岡白百合学園から盛岡短大。そして、東京海上盛岡支社に勤務しておりました。

ワタクシがお世話になっている生命保険の担当者が、東京海上日動あんしん生命に移り、関西支社のお偉いさんになられ、大阪燈門に仙台支社に異動になる方を連れてこられたことがあったのですが、その方が盛岡支社の方々を伴だって先日御来店に。
その中に失礼ながら所謂「お局さま」とおぼしき女性がいらしたものだから、もしかして?と、「あの…随分前に、伊藤かなえという社員はおりませんでした?」と尋ねると、「あら、いたわよ。」って!!
姉なのですが亡くなりましたと伝えると「明るい人だった。」とひとこと…。
それが嬉しくて嬉しくて…閉店後、グラスを洗いながら泣きました。

そうそう。姉は何度か結婚したのですが、初婚の相手との間に二人の娘をもうけたことは知っておりました。 実は、姉の葬儀で初めて会ったのです。
彼女たちにとってワタクシは叔父。そりゃ、お母さんに似てるんだからすぐわかったみたい。
今じゃすっかり仲良しに。二人とも横浜に住んでいるので、来月の東京ライブにも来てくれます。

ということで、盛岡はワタクシにとって暗い過去の街でした。
ところが、何故か帰って来ちゃった。
さてと、父と姉が果たせなかった夢を、ワタクシが盛岡で叶えないといけません。

とりとめなく書いてしまいましたが、最後までお読みくださり、有り難う存じます。