アダムスのこと

30代の後半、私は渋谷でディオニソスというカラオケスナックをやっていた。今思うと結構繁盛してたなぁ。
ところが、最後は立て続けに困難にぶつかった。
お客様の借金の保証人になったのだが、自己破産されて全額私が支払ったのだ。初めて法律事務所を訪ね、弁護士に相談し元本のみの支払いとなったが、その額200万!人生の授業料と諦めた。
お次は店に泥棒!初めて警察のお世話に。
「冷蔵庫が壊れてないか?」って…すると壊れてる。金属泥棒だった。庫内のレアメタルを取っていくのだそうで。フルートとピッコロも盗まれた。被害額100万超。
更に、近隣に風俗店が急増し、雰囲気が途端に悪くなった。ついでに人生初のインフルエンザにも罹患!

鬱々としていたある日、私は店を休んだ…てかサボって飲みに行った。ふと「杉ちゃん」という看板が目に留まり、入る。杉田さんか杉本さんか知らんが、きっと年配の方のお店なのだろうと。
愚痴をきいても欲しいし、なんだか誰かに甘えたかった。
そしたら、店の方がカラオケがめっちゃ上手い。「歌は本職で?」ときくと「シャンソンを唄っているのよ。」と。「僕はフルート吹くんですよ。」と私。
そして、その方のコンサートにフルート吹きとして久々にステージに立った。新宿のQui(き)という店だった。
客席と至近距離、そしてシャンソニエという大人の空間。楽器を持つ手が震えた。

その後でTBSドラマに路上のフルート吹きとして出演オファーが来た。わー、テレビに出られる!と、即答。豊川悦司と木村佳乃が主演だったが、取り巻きが津川雅彦、緒形拳、吉行和子、草笛光子と超豪華!野外ロケの為、楽屋がなく大物俳優たちに身近で接することが出来た。
一発目、何かフランス的なものをと言われシャンソニエで演奏している中から「小さなシャンソンの店の片隅で」という曲を吹きOKをもらう。

学生以来再び音楽に没頭するうちに、鬱々とした気持ちも晴れ、私は渋谷のカラオケスナックを閉めてライブハウスの真似事を始める決意をした。
池袋、新宿、赤坂と色々見て回ったが、最後に見た新橋の物件が気になった。保証金350万、改装費にえーと…。「おい、お前にやれんのか?」と激しく自問自答。でも、決めた!
画数など考慮し「燈門」と屋号も改め、私は伊藤ともんという芸名を名乗ることにした。

すぐに「杉ちゃん」に移転の挨拶に行った。すると「あら、アダムスの跡じゃないの!」って。「ん…アダムス?」。
有名なシャンソニエだったそうだ。
どうやら私はシャンソンに縁があるらしい。

早瀬かず椰さんという名物マスターが急逝され閉店したそうだが、最終日の出演者は井関真人さんという「小さなシャンソンの店の片隅で」を作った方だという。
呼ばれてしまったな…と勝手にそう思った。そして私はアダムスに出演していた歌手を調べ、その中のおひとりである竹下ユキさんから遂に歌を習うことにしたのだ。

今月3日は早瀬さんの御命日。節分ということで忘れることはない。新橋にいた頃は毎年この日にはアダムス時代のお客様や従業員の方が集まってくれていた。行ったことのないアダムス、そして会ったこともない早瀬さんの話で盛り上がった。

時は流れて私は大阪へ、そして盛岡へ…。
シャンソン歌手と言えるほどの専門性はないが、今や私も歌い手の端くれくらいにはなった。
私のアルバムに収めた老々介護の歌「赤とんぼ」は IN THE WIND さんの作品だが、カバーした荒井洸子さんの歌唱で初めて耳にした。荒井さんもアダムスに出演しておられ、私の店になった後「へー、あんたがやってんだ!」と突然入ってこられたご縁。
つくづく不思議な場所だったなと思う。

実はアダムス時代に店内に飾られていた鏡が私のところにある。盛岡燈門のピアノの上に掛けている。
昨日磨いて早瀬さんに合掌。
実は一曲鏡に向かって唄ったのだが、ふと気付いたことがいくつか有った。
早瀬さん来てたのかな。

享年54歳、17回忌である。気が付けば歳だけは私も早瀬さんに追い付いてしまった。
新宿の杉ちゃんもQuiも今はない。
時は過ぎてゆく…

そうそう、そのすったもんだしていた時期は前厄だった。大厄を前に新橋のその場所との出合いに恵まれたのだが、あのまま渋谷にいたらとんでもないことになっていたかもしれないな。