念願叶う!~後記~

いかんいかん、これで終わっては。
遊びに行ったところと、食ったもんのオンパレードではないかい!(笑)
てな訳で、先日のコンサートと、吉田幸生氏との出会いなどに触れておきます。
吉田幸生来盛記念コンサートの第1部は、私が宮沢賢治さんに扮し、銀河鉄道に乗り、一日限りこの世に戻って来たという設定で、自らの生涯を語りながら作詞作曲した歌を唄うという、自作の独りミュージカルでした。
賢治さんのことを深く知らずに「雨ニモマケズ」を唄っていた私は、遅ればせながらも数々の作品を読み、生誕地花巻を訪ねるなどし始めたのが数年前。

同時に「星めぐりの歌」をはじめ10数曲の歌を作ったことを知りました。では、雨ニモマケズのみならず、他の曲も唄ってみよう、そうだ、私が賢治さんになって唄うのはどうだろう?と思い付いたのです。
文学から離れ、小難しくせず、賢治さんの生涯が45分でわかる仕掛けでもあります。

実はこの頃、盲目の母が階段から転落するという事故があり、いずれは・・・と思っておりましたが、この脚本を書き上げた時に、岩手への35年ぶりのUターンを決意したのです。
初演は3年前の10月、大阪中崎町の「創徳庵」にて開催。吉田さんと、より賢治さんらしく…とチェリストのRannaさん、そして私とで上演しました。なんと、当日台風が吹き荒れ、出演者が帰宅出来ないというハプニングが!
一昨日も大雨。私が吉田さんと組むと天気が荒れるというジンクスがあるようです(笑)。賢治さんのいたずらかも知れません。
初演は会場所在地の地名を用い「中崎町イーハトーヴ」とし、これを機に「◯◯イーハトーヴ」と、会場が変わる毎にタイトルを変えています。

これまで大阪で5回(中崎町が2回、ほか、御堂筋、京町堀、堂山町)、盛岡で一昨日を含め2回(中の橋、大清水小路)、計7回上演して参りました。
年内は来月予定されていた愛知がキャンセルとなりましたが、大阪で1回予定があります。来年は東京でもやろうと考えています。
さて、吉田幸生さんとは、7年前にSarahさんというシャンソン唄いの紹介で知り合いました。まだ東京に住んでいた頃、大阪でコンサートをしてみたいと相談したところ、彼女が「ともんさんならば吉田さんが良い」と。そして、大阪の京町堀というところにあるa&w(アート&ワイン)というお店を借り、そこで吉田さんと待ち合わせて初対面の挨拶を交わし、小一時間リハーサルをして本番。
吉田さんは主にシャンソンの伴奏ピアニストとして活動しておられるので、全く不安要素なく進み、楽しく本番を終えました。
すると、なんとその会場主が後日わざわざ東京の私の店にお見えになり「店を継がないか?」とおっしゃったのです。
東京暮らしも20年を超えた私は、ちょうどその頃、次なるステージを探していたのです。

東日本大震災(両親被災)、父に次ぐ姉の自死・・・精神的に大きなダメージを受けつつ「より自分らしく生きるには?」と激しく自問自答しており、これは何かのお告げだと、思い切って東京を離れることを選んだのです。

 

そして、東京燈門を閉め大阪に転居。その店には次期社長候補として勤務するというカタチにしていただきました。
結果、10ヶ月という短い間勤務させていただいた後で、自力で「燈門」を大阪本町に再開することになりました。やはり、自分にはこじんまりした飲み屋が合うということを改めて感じたのが理由で、a&w側とは円満に話が付きました。

今でも大阪でコンサートをするときに会場として温かく迎えていただいています。
実はこの店のママはシャンソン歌手で、私を数々のピアニストやライブハウスに紹介してくれたのです。それによって、私の歌手活動が本格的になりました。今思うとこれに大阪転居の意味があったのだと…。
大阪で50歳となり、半世紀生きてこられた記念にと、初めてのアルバム(CD)を制作しました。これに岩手で生まれた証しにと「雨ニモマケズ」を収録すると決めた時に、ピアノは吉田さんしかいない!と思いました。岩手の風土を表現するのに、都会人ながら、どこか朴訥とした吉田さんが適任だと思ったのです。お陰様で良いものが出来ました。

 

完成したアルバムの発売記念ライブの為、東京に向かう吉田幸生氏と私(新大阪駅にて)

 

そして、イーハトーヴシリーズの始まりです。この頃からじわりじわりと岩手Uターンの指令が下され始めたのでしょうか…?
そして大阪から35年ぶりに故郷岩手へ転居。4年というあっという間の、中身の濃い大阪で過ごした期間は私の財産です。
なんと、前述の創徳庵の店長だった岸田が大阪燈門を引き継ぎました。これも賢治さんのいたずら?
(岸田は来月完全独立し堺筋本町に「聰音(さとね)」をオープン、現在、大阪燈門は次の店長候補を募集中)
実は、大阪を離れる時、吉田さんは病床にありました。「どうかこれが永遠の別れになりませんように」と、祈りながら病室を後にして、数日後に岩手に旅立ちました。
その吉田さんが、ご家族を連れて岩手にいらっしゃり、一緒に演奏することが遂に叶ったのです!
何度か感極まり泣きそうになりながら、本番を終えました。お痩せになられましたが、崇高さが増した吉田さんのピアノは、間違いなく岩手の人の心に響いたことでしょう。私にとっても久々のコンサートでした。演奏する喜びをひしひしと感じました。

 

さて、高いハードルとは「この時世に県外からアーティストを呼び、集客するとはいかがなものか?」という風評が怖いということもありましたが、実は、吉田さんは人工透析が必要なお身体なのです。この度は、盛岡で旅行者の透析の可能な病院を探すことから始まりました。ところが、コロナにより受け入れてくれるところはありませんでした。
可能であればもう一泊し、1日に2本のライブをするという過密スケジュールを避けられたのですが、こればかりは仕方がありません。旅程を短縮し、お帰りになられた足で透析を受けられたのです。
それでも、公演は御予約で埋まり、お陰様で好評でした。観光も楽しんでいただき、何よりでした。
出来れば年に一度でも、吉田さんをお呼びして盛岡でコンサートを開催したいと思っています。
今後とも皆様の御支援を賜りますよう、宜しくお願いいたします。