仙台での音楽活動のこと

10月29日の仙台・銀座酒場「Bouquet」さんでのコンサートを終え、翌日は久々に両親を外に連れ出しで会食。これにて、年内の巡業は全て終えました。
多くの方々が私が仙台出身だと思っているかもしれませんが、実は私は盛岡出身で、仙台には一度も住んだことがありません。
母が今仙台のホームに入居しているので、足繁く訪ねているのです。

母は道産子で、樺太で終戦を迎え、親戚を頼って漁船で引き揚げた先が石巻だったとのこと。
岩手県庁に勤める男性と結婚し私を産んだが、死別した後、二度再婚。三人目がひとつ前に投稿した一緒に焼肉ランチをした御方。私はパパと呼んでいる。
パパと一緒になり、仙台に住まいを構えて暫くは幸せそうだった。
ところが、若い頃から患っていた緑内障が悪化し失明。そして震災。
一年間の九州への避難移住を経て、仙台に戻ったものの、何故だか不仲となり昨年離婚した。
一人になった母は施設に入居するも、まさかの転落事故により車椅子生活となった。
その人生、まさに激動。
時系列が前後するが、余震も落ち着き、二人が仙台に戻って暮らしが落ち着いたのを見届け、私は長年暮らした東京を離れ、大阪に転居した。
音楽活動を本格化するのに、大阪のほうが良いのではないか?と直感したのもその理由のひとつ。
お陰様で大阪でも良い人の輪が拡がり、店も出し、音楽活動も順調で、アルバム作成も叶った。
母の事故はその直後のことである。
それから、ほぼ毎月大阪と仙台を往復することとなった。正直、出費も大変なものである。
そこで、単純に往復するだけでは勿体ない。そうだ!自分には音楽がある。仙台でも音楽活動をスタートしようと閃き、ネットで情報を収集。
実は、両親が不仲になった時に一度「Bouquet」さんでミニライブをしたことがある。
未だ独身で、倒産解雇となった後、飲み屋を始めたことは知っていても、私は自分の暮らしぶりをあまり語ることはなく、母を店に呼んだことなどなかった。
母も奔放に生きているのだし、私が何をしようが私の勝手!と、少しツッパってもいた。
しかしながら、そんな私も全うに生きてきたこと、そして、中学の時に始めたフルートをずっと続けており、歌も始めたことを伝えたい。きっと何かを感じてくれる筈だ!もしかすると、それをきっかけに離婚を思いとどまるかもしれない。
そんな訳で、東京新橋でお店をしていた時に、フラりと入って来られたお客様の営むお店「Bouquet」さんが仙台のお店だということを思い出し、お店をお借りできないか相談してみた。
すると、是非協力させて欲しいと言ってくださり、ピアノも音響設備もないお店なのに、コンサート用にレイアウトを変え、音響業者も手配してくれた。
オーディエンスは両親二人だけでも良かったのだが、その私の思いを汲んでくださった方も来てくださり、御来場僅か5人のミニコンサートは実現した。
「赤とんぼ」「Sol la mi」…見えない筈の母の眼を見つめながら、幼い頃の記憶がよぎり、泣かずに唄うのが精一杯だった。
結果、離婚することにはなったが、これによって三人が今でも時折笑顔で会うことが出来るのだと信じている。
さて、その後。
大阪でも唄っておられる仙台のジャズシンガー、テリー橋本さん、ネットを通じて山形のシャンソン歌手、大木実さんと知り合い、私の仙台での音楽活動の相談を持ちかけた。
すると、大変有り難いことに、それぞれ御自身のライブに、私のコーナーを設けてくださった。
今後も仙台でのコンサートを増やしていこうと考えている。

ピンチはチャンスと言われますが、まさにそうだなと思う。
お陰様で今や仙台は東京、大阪と並ぶ私のベースとなりました。
今後、いかに舵をとるか岐路に立たされておりますが、この三都市でいただいた沢山の方々の愛情を、片時も忘れず暮らして参ります。

と、ちょっくらカッコ良いことを書き込んでいるところに母からTEL。
「お前に腕時計を預けてはいないか?」って…(笑)。
ふぅ、こういうことが増えてきたのよね~。